気ままに朗読ライフ (#^.^#)

朗読・紙芝居・読み聞かせのブログ

5月29日という日

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5月29日。

特別な一日。

私の生まれた日。

 

 

だけど、もちろんそれだけではない。

何の因果か因縁か。

71年前のこの日、横浜に大空襲があった日である。

私が71年前に生まれたわけでもないし、

横浜生まれというわけでもないのだけれど、

横浜に住みついて30年余り。

何故か勝手に縁を感じてしまっている。

それに、あの昭和の大スター美空ひばりさんもこの日が誕生日。

関係ない?

いや、横浜生まれの彼女にも 恐れ多くも勝手ながら縁を感じている。

 

 

大空襲が襲った日に、この街に、思いを馳せて想像してみる。

その当時の日本は、もう敗戦に向かっていたはずだ。

だから米国が地上戦に切り替えて一般国民をも標的として攻撃してくる。

いわゆる、無差別殺戮。

現在、長岡市新潟県)で暮らす私の母は、71年前の8月1日そこで長岡大空襲に

あっている。今では老体に鞭を打ちながらも語り部としてこの時の体験を語り

続けている。当時女学生だった彼女の話によれば、それは悲惨で耳を覆いたく

なるものだったが。。。

恐らくここ横浜の街も同じだったのだろう。

一発の焼夷弾が地上で四方八方ヒューヒューと飛び散り何処へ逃げようとも

火の玉が後から後から追いかけてくる。

一発だけではなく辺り一面限りなく。。。

それが一時間も二時間も。。。

周りは火の海。逃げ場など何処にもない。

次々と火だるまになり黒焦げになり折り重なって倒れる人。人。人。。。

まるで地獄絵図の中にいるようだったのではないかと思う。

 

色にしたらどんな色だろう?

どんな臭いがしたろう?

轟く音はどんな音に聞こえたのだろう?

空気は震えていたのだろうか?

その光景を、どんなに頭をフル回転させて想像したとしても、実体験のない私には

たかが知れている。

でも、だから、その時代の人々の心に寄り添ってみる。

戦中とはいえ、そこには人間として普通の暮らしがあり一人一人に人生があって

ドラマがあった筈だ。

それが一瞬のうちに閉ざされたとしたら。。。

 

 

毎年この時期にかながわ県民センターで、平和のための戦争展が開催される。

今年の5月29日は、横浜市立日吉台中学校演劇部の皆さんによる朗読劇

「証言・横浜大空襲」があるというので拝聴してきた。

演劇部顧問の先生が脚本、構成、演出を手掛けていらっしゃって、当時の様々な

大空襲の悲惨で酷い体験談を基に証言を語り継ぐものになっていた。

風化されつつあるこれらの体験談を、現代を生きる中学生に是非語り継いでほしい。

その昔この横浜で何が起きたのか。どんな事を見て感じたのか。

それを今の中学生がどう感じたのか。彼らの声で生々しく語ってほしい。

そんな事を思いながら聴いた。

彼らは実際に体験された方々の話を聞いたり、資料を読んだり、その地に足を

運んだりと随分勉強をしたのだろう。

彼らが読む体験談はどれも臨場感があり、迫力もあって鬼気迫る思いがした。

でも残念なのは、頭の中で想像が付いていけない。

これは私だけが感じた事だろうか?

展開が早いんじゃない。ただただ早口なのだ。

転がるように話が進んでしまっている。

読み手が 聴き手を置き去りにしてしまっていることに気付いてほしかった。

あ~残念。

そして引き続きこの後に 脚本家であるジェームス三木さんの講演会があり、

その中で「誰かに言葉を伝えようと思ったらもっとゆっくりと話そう」

ということを話されていた。

全く同感だった。

演劇論になってしまうかもしれないが、大切なことだと思う。

そして客席にちょこんと座っていらした舞台女優の五大路子さんもおっしゃる。

伝えたい気持ちや言葉に寄り添って読んでみてくださいと。

そこに魂が宿ったときに本当に伝わる読み方になるのだろう!

 

言霊。

そんな言葉が日本にはある。

私の好きな言葉だ。

過去からのメッセージを受け止め、未来へと繋げる役目が今を生きる私たちには

あるのだから。

私も言霊を未来の人に届けたい。

5月29日という日に縁を感じて、取り留めもなく綴ってみた。

 

5/30(月)~6/1(水)

神奈川県民センター(横浜駅西口)

2016平和のための戦争展inよこはま( 展示会)

 

☆もうひとつ追記☆

五大路子ひとり芝居 『横浜ローザ 赤い靴の娼婦の伝説』

今年で20周年だそうだ。

これもずっと観たくて気にしていたひとつ。

これを機に行ってみようか。。。

 

8/14~18 赤レンガ倉庫1号館3Fホール